2012年12月16日(日)01時20分

「空の自由化と航空業界の再編

【PDFでチェック】

航空産業の歴史と日本の関わり

要   約

1.航空産業に関係されて来た方々には熟知の事柄故読み飛ばして戴いても差し支えない。

2.但し、好むと好まざるに関わらず、現在空の交通を律するゲ-ムル-ルは日本の参画なしで決まったが、日本は1953年国際民間航空条約を批准し、このゲ-ムル-ルを遵守する事を約した。

3.ゲ-ムル-ルの基本は「空の自由化」を主張する米国と或る程度自国の主権を守り度い欧州(英国)の妥協の産物。出遅れてこの航空秩序に参入した日本は「空の自由化」を進める米国の圧力に抵抗する欧州寄りの道を歩んだ。

4.EUの統合が進む中で域内の「空の自由化」が進みカボタ-ジユ規制も完全撤廃され今度は米国が受身に立った。

5.「空の自由化」はアジア域内でも早晩2国間・多国間自由貿易協定の締結等で進展する。既に、TPP,FTAでも根強い反対が日本国内で見られるが、江戸時代同様鎖国を続けても世界より取り残されるだけである。

6.ビジネス機業界も空港の容量が絶対的に不足したと言う客観的要因は有ったものの、首都圏空港開放迄の空白の時間に世界のビジネス機業界は激変し、アジア域内でさえ日本の出遅れは一見決定的と成っている。

7.一方、世界の航空会社の如何なる巨人と言えども一人で生存する事は不可能。企業間の合従連衡、そしてグロ-バルアライアンスと言う統合の新たな局面に突入した。日本の航空会社もアライアンスの恩恵に浴している。

8.生命体は「環境への適応」を図らねば死滅するのが自然の摂理。日本もそれ以外の選択肢は無い。

9.此処で、一旦過去を白紙に戻し、「ゼロ発想」で再出発する必要が有る。「歴史の時計の針を戻し」グロ-バル化の奔流に逆行する選択肢は日本には無い。本稿の各論に入る前に歴史の大きな潮流を確かりと見据える必要がある。

 

航空産業の歴史と日本との関わり

黎明期:1883~85年熱気球が英仏海峡横断に成功した事で初めて空の交通法制のニ-ズが認識され1989年パリ

で国際法会議が開催されたが、14年後の1903年ライト兄弟が初の動力飛行機を飛ばす事に成功し航空史の1頁目が開かれた。1910年、郵便輸送としての商業運航が始まったが、この年12月徳川大尉が仏製複葉機で飛行に成功した時点を日本での航空機の初飛行として、2010100周年の記念行事が催されたが、日本の航空の歴史も欧米に比しさして劣るものではない。航空機は戦争と共に発展した。近代の戦争で空軍が果たした役割は指摘する迄も無いが、敵に1日の長を得る為に金に糸目を付けぬ技術開発、戦後に残された大量の機材とパイロットの受皿としての民間航空の発展に触れずして歴史は語れない。今日、軍需が航空産業の大きな支えと成って居る事は周知の事実で、「平和国家日本」言えども例外ではない。(日本における航空機の最大の保有者は自衛隊と海上保安庁)第1次大戦後の1919年、パリ-条約が締結され「領空主義」や「国籍条項」の概念が定義付けられた。この後、日本でも1920年に「航空法」が制定され、1922~23年には民間航空の「日本航空輸送研究所」、「東西定期航空会」、「日本航空会社」。「川西航空機」等が次々と産声を挙げた。然し、1941年太平洋戦争勃発で民間航空の活動は停止された。戦争中は

「零戦」が活躍し、終戦直前には滞空時間が短く成層圏を飛ぶBoeing B-29を撃ち落とす位の事しか出来なかったが、国産ジェット機「秋水」も実戦配備された。日本でも航空技術の蓄積はかなりあった。

終戦後の復興:終戦により日本の航空産業は全面的に解体されたが、この間第二次大戦で急速な進歩を果たした航空機とパイロットの民間での有効活用を期し、1944年連合国52ヶ国が国際航空会議に参集、シカゴ条約と呼ばれる国際航空条約が締結され、1945年にはIATA(国際航空運送協会)の設立、1946年には英米間2国間協定(バミュ-ダ協定)、1947ICAO(国際民間航空機関)の設立等今日の航空基盤の構築が日本の参画なしで進められた。1950年、戦後始めてPan-Am, Northwest, British Airways, Canadian Pacific, Quantas等の民間航空会社が羽田空港に乗り入れ、翌195110月、日本航空が設立され羽田と大阪、札幌、福岡間の定期便が開設された。19524月、サンフランシスコ講和条約が発効し羽田空港の返還、日米航空協定の締結、翌1953年には日本も国際民間航空条約の批准国と成り、61番目の参加国としてICAOに加盟した。195612月、日本は80番目の参加国として国連に加盟、国際社会への復帰を果たした。1960年にはJALDC-8を国際線に就航させ、1964年海外旅行も自由化された。

「空の自由化」1978年米国で「航空企業規制廃止法」が議会で可決され「空の自由化」の幕が切って落とされた。世界の空に君臨して来た、Pan-Am, TWAの破綻、Southwest等のLCCの台頭等はその直接的な結果と言える。競争力強化の為のHub-and-Spokesのビジネスモデルもこの時代に完成した。1985年、日本では「航空憲法」の廃止、ANAの国際線への参入、1987年のJAL民営化等は当時のレ-ガン・サッチャ-体制の規制緩和・自由経済移行への歴史的潮流の一環として捉えられなければ成らない。更に米国、欧州のLegacyCarrierと呼ばれる大手航空会社の3企業グル-プへの集約、これら大手航空会社のグロ-バルな合従連衡によるグロ-バルアライアンス (Star Alliance, One World, Sky Team) の出現(1997Star Allianceが誕生)と3グル-プへの集約に発展した。特に、1997年、EUが域内カボタ-ジュの完全自由化、加盟国の国別差別撤廃、共通運航免許の設定でEU航空企業の概念を明確にした事で、「空の自由化」の旗手を自負する米国にさえショックを与えた。その後、2003年には、豪州-ニュ-ジランドの2国間協定でカボタ-ジュ参入規制撤廃が行われた。日本は1998年に日米航空協定改正で永年の宿願であった「不平等条約」の改正により、米国NW(現在はDeltaと合併)UA,FEDEX、と日本のJALANA、日本貨物航空で自由な運航権を持つ3社体制が確立、2000年の航空法改正で日本国内線の運賃自由化、2009年の羽田空港の国際化、近年のLCCの国内への参入など、国際的な大きなうねりに追随する動きを見せている。

 

Alliance Members20127月末現在

地 域

Star Alliance

One World

Sky Team

南北アメリカ

エア・カナダ

USエアウェイズ

ユナイテッド航空

TAM(ブラジル)

アビアンカ航空(コロンビア)

TACA航空(サルバドル)

コバ航空(パナマ)

アメリカン航空

メキシコ航空

ラン航空

(Argentine,Ecuador,Peru)

アエロメヒコ

デルタ

欧 州

ルフトハンザ

オ-ストリア航空

スカンジナビア航空

スイスインタ-ナショナル

LOTポ-ランド航空

TAPポルトガル航空

ブリュッセル航空(ベルギ-)

アドリア航空(スロベニア)クロアチア航空

Blue 1(フィンランド)

エ-ゲ航空(ギリシャ)

イベリア航空

フィンランド航空

ブリティッシュ・エアウェイズ

S7航空(ロシア)

エアベルリン

アエロフロ-ト

アリタリア航空

エアフランス

KLM

エアオイロ-パ(スペイン)

チェッコ航空

タロイ航空(ル-マニア)

アジア・オセアニア

アシアナ航空

シンガポ-ル航空

タイ国際航空

中国国際航空

全日空

トルコ航空

ニュ-ジランド航空

キャセイ・パシフィック航空

日本航空

カンタス(豪州)

大韓航空

中国航空

中国南方航空

中国東方航空

ベトナム航空

その他

南アフリカ航空

エチオピア航空

エジプト航空

ロイヤルヨルダン航空

サウディア

ケニアエアウェイズ

MEA(アラブ首長国連邦)

エアレバノン

参加予定・検討中

深圳航空

エバ-航空(台湾)

エアインディア(印度

マレ-シア航空

スリランカ航空

キングフィッシャ

(印度)

アルゼンチン航空

アモイ航空

ガル-ダ(インドネシア)

業界の絶え間ない合従連衡で勢力分布図も流動的に塗り替えられる。UnitedContinentalの統合でContinetalSky Teamを離脱、Star Allianceに参加。JAL再建ではOne WorldAmericanSky TeamDeltaが熾烈な争いを展開し、JALは従来から関係の深いAmericanとの提携継続を選択した。現在、American US Airの統合の話が進んで居るが、実現すれば、US AirStar Allianceを離れOne Worldに参加する事に成るであろう。

(Aviation Week誌が各Alliance公表数値を集計)

参加企業数

所有総機数

年間利用者数

(100万人)

年間収入

10億㌦)

離陸回数/

仕向都市数

One World

13

2,381

324

105

8,627

810

Star Alliance

27

4,433

680

182

21,555

1,356

Sky Team

18

2,644+1,406

537

N/A

15,000

993

 

日本のビジネス機事業への影響

 ビジネス機と言えども航空機産業の一部であり、前記のグロ-バルな大きな動きの文脈の中で語られなければ成らない。

  1. 経済のグロ-バル化、市場の一体化は歴史の大きな潮流であり、何人と言えども「歴史の時計の針を戻す」事も大きな潮流に逆らう事も出来ない。JBAA1996年に設立された時点の世界のビジネス航空関連業界の合言葉は「空に国境なし」でビジネス機の受け入れが儘成らぬ日本に、空港開放、規制緩和の要請の大合唱が起きた。

  2. 当時より16年、地方空港の開放に始まり、2009~10年の首都圏空港の容量増大に伴うビジネス機への開放で、海外のビジネス航空協会が熱望した首都圏空港での海外ビジネス機受け入れの地合いは整った。勿論利用料を含めた空港利用に伴う諸経費の軽減、ビジネス機受け入れの為の諸設備の整備・充実、希望する時間帯での離着陸枠の取得等残された課題は数多くあるものの、ビジネス機受け入れの絶対的な容量不足と言う最大の難関は乗り越えた。

日本のビジネス機利用が対面する基本的な課題

皮肉にも、大きな障害が取り除かれた事で、日本でのビジネス機運航に伴う基本的な課題が逆に浮き彫りに成った。

 

  1. 諸外国では当り前のジェネアビ(General Aviation) と言う概念もそれに見合った法制も整備されて居ない事が、以前より問題視されて居たが、大きな障害として立ち憚った。高度成長期が終焉し、企業再生に努力を傾けた民間企業が行き着いた改善策は「当たり前な事が当り前に行われる事」と言う至極単純な原則であった。諸外国では「当たり前な事」が日本では「当り前に行われて居ない」即ちジェネアビの概念そのものが市民権さえ得て居無いガラパゴス列島である事が改めて浮き彫りと成った。素人分かりし易い説明をすれば、自動車社会到来の折に一般市民が利用する普通車、軽自動車、原付2輪車等の法制が無い為、一般の利用者と言えども大型バスやトラック並の免許が必要な上、整備条件や各種経費・手続も大型車両並では利用者に経費を含め大きな負担が生じる。米国ではビジネス機にはPart 135, 自家用機はPart 91とより簡便で利用者の使い勝手の良い法規が用意されている。海外の主要空港にはジェネアビタ-ミナルや滑走路が別に設けられて居たり、ジェネアビ専用の空港も多々存在する。日本は戦後の復興の過程で大量輸送による利用者の為のコスト引き下げに専念せざるを得ず、ジェネアビに配慮する余裕が無かった事は已むを得ないとしても、隣国の中国等以前より米国のPart s135を導入、準用して居りビジネス機市場の急激な拡大に伴い日本とのコスト面、便宜面での格差は決定的に成りつつある。北京オリンピックへの対応でビジネス機受け入れのインフラも大幅に改善された。
  2. 首都圏空港開放に15年を要して居る間に海外に飛行可能なJA機(日本国籍機)は大半が管理コストの安い海外に拠点を移し、JA機の飛行範囲はサハリン、ロシア領沿海州、韓国、中国東北南部地域位に限定される。2010年度の飛行実績では海外機の日本への飛来は3,544回、JA機の日本から海外への飛行実績は韓国4回、中国3回、その他1回計8回と物の数に入らず、日本市場は既に外国機により完全に席巻されている。
  3. 海外機受け入れの要請に応える為、特に欧米からの強い要望が有った首都圏空港の開放に15年を要して居る間に、日本を取り巻く環境は大きく変わり、外国機と言ってもアジア諸国よりの飛来機が相対的に増えた為、利用空港も名古屋以西の西国空港、地方空港の利用シェア-が半数を越えた。定期商用便でも言える事だが、日本の航空会社が不採算路線として撤退した路線には韓国・中国の航空会社やLCCが入って来る現象が見られるが、ビジネス機業界も同様。
  4. 欧米への遠距離飛行にはHeavy Jetを利用する以外ないが、 JA機のHeavy Jetは日本では皆無なので、韓国、台湾、北京、上海、香港等より呼寄せる必要があり、呼寄料のみで数百万円以上懸り超富裕層、セレブ以外は手を出せない。一方上記の様なアジアの空港には、Gulfstream G-550Bombardier Global Express XLS等の新鋭機が用意され、この面での彼我の開きは決定的に成って居る。中国、韓国、アジア諸国、ロシア等では当初より利用者の的を超富裕層、セレブ、VIPに絞って居り、日本の如く一般のビジネスマンを対象として居るのとは決定的な相違がある。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


*